私のコンプレックス
私は生まれつきの外斜視です。
幼い頃は自分の写真を見て「どうして片目だけ変な方を向いているのかな?」くらいにしか思っていませんでした。
小学生の頃から何だか人から避けられている感じがしました。
でも目のことは誰にも何も言われなかったので自分が他人と違うということに気が付いていませんでした。
中学生になったある日友達から「どっち向いてるの?」と言われました。
そこで改めて自分の顔を鏡でよく見て、明らかにおかしいことに気が付きました。
実はそれまで鏡で自分の顔をじっくり見ることはほとんどなく、眼球の向きなど気にして見ていたことはなかったのです。
それから自分の目がすごく気になりだし、自分の顔が嫌いになりました。
自分の顔を鏡で見たり人に自分の顔を見られるのがとても嫌になり、写真を撮ることも避けるようになりました。
自分に自信が無く、自分は人前に出てはいけない顔なんだと思うようになりました。
性格は内向的になり人前に出ることを避けるようになりました。
それでも関係なく仲良くしてくれる友達が数人いたので学校に通うことはできました。
大人になった今でも私は自分の顔が嫌いです。
自分の写真も鏡も見たくありません。
それでも変わらず接してくれる友達がいて、結婚もして子供も生まれて、今は多分幸せなんだと思います。
それでもやはり自分に自信が持てません。
人付き合いはそれなりにしていますが、やはり人前に出るのは苦手です。
若い頃に1度だけ手術をしようかと思いましたが、結局勇気が出ず止めました。
そのことは後悔していませんがやはり「普通の目だったらなぁ」と思うことはあります。
多分一生消えることのないコンプレックスです。
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12/06/2014 | コメントは受け付けていません。 |
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近視と眼精疲労、これ以上悪くならないために気をつけていること
目が悪くなったのは中学生の時。
ゲームをやりすぎたのが原因だと思います。
そのまま視力は落ち続けて、高校生でメガネ、就職してからはコンタクトを使うようになりました。
今も毎日コンタクトを使っています。裸眼視力は0.1もないと思います。
これ以上悪くならないように、そして最近よく、目の疲れも感じるので目薬を使っています。
コンタクト使用中はコンタクト用の目薬を。外した後に養潤水を使うようになってから目の疲れが減りました。
最近は加齢のせいなのか、遠くを見た後に近くを見た時など、ピントを合わせるのに時間がかかるようになりました。
老眼なのかと心配になっています。
コンタクトもメガネもとても面倒なので、視力を回復できるならさせたいと思っているのですが、レーシックは怖くて踏み切れません。
これ以上視力が悪くならないように、パソコン中や、テレビを見たり読書をしてる時も、ときどき遠くを見て目を休ませるようにしています。
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12/02/2014 | コメントは受け付けていません。 |
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わたしの視力矯正記
眼鏡をかけ始めたのは、忘れもしない小6の時。
1年生の頃は両目とも2.0だったのに、あれよあれよと悪くなりとうとう眼鏡をかけなければならなくなってしまいました。
両親も兄弟も目がいいし、クラスの友達も先生も眼鏡をかけている人がいなかったので、本当に悲しくて嫌でしたね~。
最初は授業中だけかけて、普段は裸眼で過ごしていたんですけど、嫌ながらも、やっぱりかけていた方が見えやすいものだから結局1日中かけているようになって。
時は過ぎ、就職して1年目。
お給料をもらうようになり、急に「コンタクトにしよう!」と思い立ち眼科へ。
初めて看護師さんにつけてもらった時は本当に目の前がパーッとひらけた感じがして、大げさでなく、世界が明るくなりました。
それでも慣れるまでは大変で、目は痛いし、涙はボロボロ出るし、「ホントにこれ慣れるの!?」と思ったものです。
しばらくすっきりしない日々が続いたもののある時から、全く痛くなくなり違和感もなくすっかりコンタクト生活が快適になりました。
今思えば、もっと早くコンタクトにしておけばよかったな。
次はレーシックかな~。ちょっと怖い気もするけど。
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11/22/2014 | コメントは受け付けていません。 |
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目が悪くなったけど得していること
目が悪くなった理由は、小学生の頃、下級生にいたずらで石灰を投げつけられ、それが左目に入ってしまったからです。
その左目の中には一生消えない傷が残ってしまいました。
それから視力がどんどん悪くなっていき、中学生で授業中にだけメガネをかけるようになりました。
その後、社会人になるまで時々メガネをかけていました。
社会人になってライブに行くようになると、メガネでライブを観るのが辛くなってきました。
メガネだと少し暴れただけでメガネが落ちるし、怪我をする恐れがあったからです。
そのため、思い切ってコンタクトレンズを着けるようになりました。
左目に傷がありましたが、コンタクトレンズを着けるだけなら支障はないとのことでした。
コンタクトレンズに慣れてくると、今度はカラコンに挑戦するようになりました。
周囲の友人たちはコンタクトレンズに慣れていなかったため、装着するだけも一苦労しているようでしたが、私は普段からコンタクトレンズを着けているので、カラコンを着けるのに抵抗もなかったし、友人たちよりも早く装着することができました。
時々、裸眼がいいと思うこともありますが、コンタクトレンズやカラコンを着けることで別の世界が広がることがあるし、特にカラコンを着けると顔の雰囲気も変わって楽しくなるので、ある意味得しているなと感じています。
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10/25/2014 | コメントは受け付けていません。 |
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落としてしまった「視力」
家族みんながとってもいい視力なのに、わたしが小学生のときから眼鏡を話せない近眼になったのには理由がある。
ただひとつ、わたしの眼鏡への「あこがれ」。
今思えば、ほんとうに愚かなことを考えていたものだ、あの頃は。
わたしなりに決行した方法は暗がりで本を読み続けること。
親の注意には耳を貸さず、毎晩毎晩よくもまぁ読み続けたものだ。
すぐに「眼鏡のわたし」はできあがった。
いま、コンタクトを使うようになってずいぶん経つ。
眼鏡はやっぱり不自由なものだった。
すぐに曇ってしまうし、なくなるし、ふとした拍子に壊してしまったこともあった。
フレームを替えるたびに、新しい気持ちになったけれど、そんな「見た目の変化が自分の中に生み出すウキウキ感」は、意外とあっけなく過ぎ去ってしまうのだった。
レーザー治療を受ける友人がたくさん出てきたけれど、わたしは、たぶんその選択肢を選ばない。
怖いというのもあるけれど、無理に視力を落とした自分のやましさや、あのときの愚かさを悔いる気持ちが、なんとなくそれを許さないのだ。
そして、今日も念入りにコンタクトのケアをする・・・。
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10/18/2014 | コメントは受け付けていません。 |
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