落としてしまった「視力」

このエントリーをはてなブックマークに追加

家族みんながとってもいい視力なのに、わたしが小学生のときから眼鏡を話せない近眼になったのには理由がある。

ただひとつ、わたしの眼鏡への「あこがれ」。
今思えば、ほんとうに愚かなことを考えていたものだ、あの頃は。

わたしなりに決行した方法は暗がりで本を読み続けること。
親の注意には耳を貸さず、毎晩毎晩よくもまぁ読み続けたものだ。
すぐに「眼鏡のわたし」はできあがった。

いま、コンタクトを使うようになってずいぶん経つ。
眼鏡はやっぱり不自由なものだった。

すぐに曇ってしまうし、なくなるし、ふとした拍子に壊してしまったこともあった。

フレームを替えるたびに、新しい気持ちになったけれど、そんな「見た目の変化が自分の中に生み出すウキウキ感」は、意外とあっけなく過ぎ去ってしまうのだった。

レーザー治療を受ける友人がたくさん出てきたけれど、わたしは、たぶんその選択肢を選ばない。

怖いというのもあるけれど、無理に視力を落とした自分のやましさや、あのときの愚かさを悔いる気持ちが、なんとなくそれを許さないのだ。

そして、今日も念入りにコンタクトのケアをする・・・。

あわせて読みたい関連記事

このエントリーを含むはてなブックマーク Buzzurlにブックマーク livedoorクリップ Yahoo!ブックマークに登録 当サイトのRSSフィード購読当サイトのRSS購読

スポンサードリンク

タグ

10/18/2014 | コメントは受け付けていません。 |

カテゴリー:目の雑学

トラックバック&コメント

コメントは受け付けていません。

このページの先頭へ